uncleT~後編~
章司さん繋がりで
大御所を山盛り紹介され
沢山の貴重な経験をさせて頂く
ありがたや ありがたや
なんやかんやで作曲が評価され
章司さんのプロジェクトで
J-Popを何曲か書いて
ついでに歌詞も書いて
その時に『Love is the sunshine』
も出来上がって
めちゃくちゃ久々に師匠に
連絡して曲を聴いてもらった
その頃、師匠は海外でも評価され
映画音楽でもアレコレ受賞していた
追い付くどころか差は開くばかり
師匠が天才だと弟子はツライ
『Love is the sunshine』を
師匠はとても褒めてくれて
『必ずリリースしなさい』と言ってくれた
それが遺言になってしまい
再開は果たせなかった
我が師匠[川崎 真弘]は
偉大な音楽家であり
ミュージシャンの心意気を
教えてくれた人でした。
プロジェクトも消え去り
『Love is the sunshine』は
お蔵入りになった
そして
大御所を山盛り紹介され
沢山の貴重な経験をさせて頂く
ありがたや ありがたや
なんやかんやで作曲が評価され
章司さんのプロジェクトで
J-Popを何曲か書いて
ついでに歌詞も書いて
その時に『Love is the sunshine』
も出来上がって
めちゃくちゃ久々に師匠に
連絡して曲を聴いてもらった
その頃、師匠は海外でも評価され
映画音楽でもアレコレ受賞していた
追い付くどころか差は開くばかり
師匠が天才だと弟子はツライ
『Love is the sunshine』を
師匠はとても褒めてくれて
『必ずリリースしなさい』と言ってくれた
それが遺言になってしまい
再開は果たせなかった
我が師匠[川崎 真弘]は
偉大な音楽家であり
ミュージシャンの心意気を
教えてくれた人でした。
プロジェクトも消え去り
『Love is the sunshine』は
お蔵入りになった
そして
章司さんをも失って茫然自失していた時
ある男が『Tは重度の精神病になった』と
某レコード会社に触れ回り
俺を追い払う作戦を展開した
どうでも良かったので放置
その男はアレンジャーで
まんまと仕事にありついた
良かったね
内緒だが実は俺は
J-Popに余り興味がない
今後はアレンジャーを使うのはやめよ
とも思った
アメリカ人と組んで
HIP-HOPの真似事を始めた
クラブ活動開始
これを人生最後の音楽活動に
しようと思ったとさ
とあるパーティーで
アメリカの某メジャーレーベルの
プロデューサーに会った
若いミュージシャンに囲まれていて
「仕事で音楽を聴き過ぎてスタジオ以外では
デモテープは聴きたくない」
みたいな事を英語で言っていたので
無理矢理俺の曲を聴かせてみた
「今からお前のスタジオへ行く」
と言い出してウチに押し掛けてきた
意外にチョロかった
なんか色々と英語で賛辞を受けた
やはり俺は海外か?
ヨーロッパで展開している
エナジードリンクのメーカーと
パートナーシップみたいなものを結んで
バックアップされる事にもなったが…
裏に「レッドブル味」って
日本語で書いてあって不安を覚えた
最初はローソンとかで売ってたけど
しばらくしたら近所のドンキで
安売りされてた
残念だったね
そういえば
俺には歌やってる姪っ子が居た
章司さん繋がりで知り合った
大御所ミュージシャン達に
丸投げして預けてたっけ
決して忘れてた訳では無い
まだ日本語版だった
『Love is the sunshine』を
託す事にした
他にも数曲、貯めてた曲も
クラブ活動で仲良くなった
何人かのアーティストは
現在はTVでも活躍していて
とても嬉しい
その内の1人は
姪っ子の歌の師匠になってくれた
周りが売れていくと
若者は焦り出すモノで
アメリカ人は日本にいた
海外のプロデューサーに
そそのかされて去っていった
色々と作品を発表したらしい
良かったね
そして音楽人生は終わり
ロスタイムに突入
ギターを手にしない日が増える
ある男が『Tは重度の精神病になった』と
某レコード会社に触れ回り
俺を追い払う作戦を展開した
どうでも良かったので放置
その男はアレンジャーで
まんまと仕事にありついた
良かったね
内緒だが実は俺は
J-Popに余り興味がない
今後はアレンジャーを使うのはやめよ
とも思った
アメリカ人と組んで
HIP-HOPの真似事を始めた
クラブ活動開始
これを人生最後の音楽活動に
しようと思ったとさ
とあるパーティーで
アメリカの某メジャーレーベルの
プロデューサーに会った
若いミュージシャンに囲まれていて
「仕事で音楽を聴き過ぎてスタジオ以外では
デモテープは聴きたくない」
みたいな事を英語で言っていたので
無理矢理俺の曲を聴かせてみた
「今からお前のスタジオへ行く」
と言い出してウチに押し掛けてきた
意外にチョロかった
なんか色々と英語で賛辞を受けた
やはり俺は海外か?
ヨーロッパで展開している
エナジードリンクのメーカーと
パートナーシップみたいなものを結んで
バックアップされる事にもなったが…
裏に「レッドブル味」って
日本語で書いてあって不安を覚えた
最初はローソンとかで売ってたけど
しばらくしたら近所のドンキで
安売りされてた
残念だったね
そういえば
俺には歌やってる姪っ子が居た
章司さん繋がりで知り合った
大御所ミュージシャン達に
丸投げして預けてたっけ
決して忘れてた訳では無い
まだ日本語版だった
『Love is the sunshine』を
託す事にした
他にも数曲、貯めてた曲も
クラブ活動で仲良くなった
何人かのアーティストは
現在はTVでも活躍していて
とても嬉しい
その内の1人は
姪っ子の歌の師匠になってくれた
周りが売れていくと
若者は焦り出すモノで
アメリカ人は日本にいた
海外のプロデューサーに
そそのかされて去っていった
色々と作品を発表したらしい
良かったね
そして音楽人生は終わり
ロスタイムに突入
ギターを手にしない日が増える
I Can See Clearly Now
悪い意味でね
何もなくなった
何もなくなったのに人生は続いてる
酷なもんだ
だが俺は再会した
Motorcycleに
湧き上がるエンジンの熱と鼓動
まるで空を飛ぶ様な爽快感
アスファルトからタイヤへ
サスペンションから
ハンドルやシートを通じて
ダイレクトに伝わる感覚
そして不満
CBは良いバイクだが
何かが足りない
一文字足りない
「R」
が足りない
CBの走行距離が8万キロを越え
uncle-tはCBR1000RRを
手に入れた
そして世界はパンデミック
サーキットは閉鎖、お小遣いは激減
とてつもなく暇だ
やる事が無いのでギターを弾く
ギターを弾くと曲が生まれてしまう
曲があると歌詞を書いてしまう
すると誰かを思い出す
「May、いい曲があるんだが
聴いてみないか?」
ってな訳だ
悪い意味でね
何もなくなった
何もなくなったのに人生は続いてる
酷なもんだ
だが俺は再会した
Motorcycleに
湧き上がるエンジンの熱と鼓動
まるで空を飛ぶ様な爽快感
アスファルトからタイヤへ
サスペンションから
ハンドルやシートを通じて
ダイレクトに伝わる感覚
そして不満
CBは良いバイクだが
何かが足りない
一文字足りない
「R」
が足りない
CBの走行距離が8万キロを越え
uncle-tはCBR1000RRを
手に入れた
そして世界はパンデミック
サーキットは閉鎖、お小遣いは激減
とてつもなく暇だ
やる事が無いのでギターを弾く
ギターを弾くと曲が生まれてしまう
曲があると歌詞を書いてしまう
すると誰かを思い出す
「May、いい曲があるんだが
聴いてみないか?」
ってな訳だ
さいごに
uncleT物語楽しんで頂けましたでしょうか??
そしてuncleTを少しは理解して頂けましたでしょうか??
ともあれここまで読んで下さってありがとうございました(*^^*)
今後ともよろしくお願いいたします。
✿SEE YOU❀MAY NIECE✿
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